学生時代から名作だということは知っていたのですが、
なんとなく手をつけていなかったものを、
ようやく最近になって読みました。
自分の外見の醜さと、「吃り」にコンプレックスを抱く青年。
ある日、村の美人、有為子を待ち伏せし、
告白…もしくは襲おうとしたのですが、
「何よ。吃りのくせに」
と爽やかに一蹴されてしまいます。
それくらい拒絶される「美」という存在。
青年にとってその「美」の象徴は、金閣寺でした。
運命的に金閣寺の徒弟になった青年は、
身近でその「美」に触れながら、ある思いに駆られていきます…。
330ページで、合計約5280行、およそ200640字なのですが…
おそらく一行も無駄がありません。
例えば157ページ。
「しかるに柏木は裏側から人生に達する暗い抜け道をはじめて教えてくれた友であった。
それは一見破滅へつきすすむように見えながら、
なお意外な術数に富み、卑劣さをそのまま勇気に変え、
われわれが悪徳と呼んでいるものを再び純粋なエネルギーに還元する、
一種の錬金術と呼んでもよかった。
事実それでもなおかつ、それは人生だった。
それは前進し、獲得し、推移し、喪失することができた。
典型的な生とは云えぬにしても、生のあらゆる機能はそれに備わっていた。」
こんな密度の濃い文章が、次々と繰り出されていきます。
そしてその一行一行、青年に起こるエピソード、
青年に出会う人物、青年の思想は、
一見無関係に見えるものも含めて、
全てがクライマックスと繋がっています。
すさまじい小説。
小説慣れしていない人が読んだら、
小説酔いを起こすかもしれません。
また、カラっと楽しく生きている人にはオススメしません。
「この主人公気持ち悪いな」
で終わる可能性があります。
私も考える傾向なのですが、この主人公は考えすぎです。
どこまでがストーリーで、どこまでが作者の本音かわからなくなってくる…
これが文学というやつなのでしょうか。
しかし小説には、「わかるわからない」があるし、小説読まない人が、
偉そうに小説について語ったりしません。
そして本当は笑いにも「わかるわからない」はあるはずなのに、
誰もが自分はわかってると思って、偉そうに語って、
むしろわかりにくいのは芸人が悪い、みたいな論調が多数を占めていますよね。
で、わからない人のために、浅いボケ連発して、細かいとこまでイチイチつっこむ芸人が増えると、
わかる人たちにとってはどんどんつまらなくなっていくと。
「戦うしかなかろう。互いに敵である限り…どちらかが滅びるまでな」
というガンダムシードのバルトフェルトの言葉に近づいている気がします。
というか、もう、「笑いわからない派」にほぼ支配されてしまっている気がします。
少なくともテレビは。
と、いろいろ考えますが、
あんまり考えすぎるのもよくないですよね。
考えすぎるのもよくないし、
いきなり突拍子もない行動に出るのもよくない。
コンプレックスなり、悩みなりあっても、
ちょっとずつ変えていかないと。
この主人公の気持ちはわかりますが、友達になりたくないなーと思いました。
もっとシンプルに人生楽しみたいですね。
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