ツイッターで紹介されていて、買いたいと思った物が二つありました。
一つ目が
▼Amazonのあらすじ▼
俺はここで生まれ、育ち、歪んだ。東京の辺境、雑司ヶ谷。この町に別れを告げる前に“大掃除”をしておく。霊園から、あの世へ送り出してやる。復讐と再生、中国マフィア、新興宗教…ひねりと笑いに満ちたH&V小説。
まず、ブログで紹介することを前提に読み出したのですが、思ってたより過激でした…。クライアントが読まれることを想定したこのブログで紹介するものではないかもしれません。…まあでも、せっかくなので書いてしまいます。18歳未満の方は読まないことをオススメします。
内容は、ジェットコースターのようなエンターテイメント。ノワールではあるのですが、暗くなりすぎず、展開が速いしポップなので、一気に最後まで読めてしまいました。
… そこまでだったら、まああると思うのですが(そこまでのものを作るのもすごいですが)、この小説のすごい所であり、ツイッターの住人が薦めていたところであり、私が読んでみようと思ったのが、このジェットコースターエンターテイメントの中に、何やらサブカル的な言葉を効果的に散りばめているところ。
最大のポイントはコチラのブログの「さらば雑司ヶ谷」で語られるオザケン論という記事に書かれていますが、それ以外にも、
「あんた、それは菊池成孔の受け売りかい」
「居合わせた者たちはみんなあっけに取られて、まるで真昼のGacktでも見ているような面持ちだった」
「こんな光景をどこかで見たことがあるような気がしたが、それはタランティーノの『レザボア・ドッグス』ではなく、たけし軍団の『ガンバルマン』だった」
というような、70年代、80年代生まれのサブカル好きならニヤリとするような表現が続きます。
さらに「今」を象徴するような
「ユーチューブで事故のニュース映像を検索して見ていたら」
「それをケータイのネットからグーグルマップで調べたら一発だった」
という表現が。
馳星周の『漂流街』でも、主人公の心の荒れ方と、サッカーワールドカップがリンクしていましたが、それよりももっとあからさまに固有名詞を使って,時代やそこに住む人たちの人格を表しています。
さらに、もう一歩踏み込んで
「これからちょっと戦争をやるんだけどよ、おまえも出征するか」
奴は俺の方を向いた。
俺は、生まれてこのかた、あんなに輝いた日本の若者の笑顔を見たことがない。
という表現も。まあ、ディープになるんで特にコメントはしませんが。
筆者の樋口毅宏さんは、なんと白夜書房の元編集者。
常々私は「漫画や小説の編集者が実際に自分で書いたらどうなるのだろうか?」という疑問を抱いていましたが「編集者は本当は(に)強いんです」ということを示してくれました。
『さらば雑司ヶ谷』。情報量が多く、「今」を象徴しているまさにツイッターのような小説でした。…若干強引ですが。
しかし、ツイッターですが、なんかmixiの黎明期より温度差を感じます。
何人かの友達に「ツイッターやってる?」と聞いたところ、
やっている人もいましたが、何人かからは
「やってないよ。どうやるの?」
「ツイッターや
あまり魅力を
感じない」
「ツイッターってなに?」
という返信が…。
まあ、そのリアクションも「今」だと思いますし、
それはそれでオッケーだと思います。
「青い空が輝く 太陽と海のあいだ
“オッケーよ”なんて強がりばかりの君を見ているよ
サクソフォーンの 響く教会通りの坂降りながら
美しさ oh baby ポケットの中で魔法をかけて
心から oh baby 優しさだけが溢れてくるね
くだらないことばっかみんな喋りあい
嫌になるほど続く教会通りの坂降りて行く@kokono516