元売れない芸人の独り言

元売れない芸人がキン肉マンについて語っています。キン肉マンアニメ化祈願。

2000年くらいなら週刊●春に乗り込んでいたかもしれない

松本人志さんが活動休止を宣言されました。

あの日の僕ならば…

もしかしたら週刊●春に乗り込んでいたかもしれません。


松本人志さんは、実は一目惚れというわけではありませんでした。
中学生の同級生のアーリーアダプタ達が注目し始めていたころ、
まだ私はとんねるずウッチャンナンチャンあたりを熱中するというわけでもなく、ボーっと見ていました。

ごっつは好きでしたが、
何分チャンネル争いの父親の大河ドラマが強く、
なかなか観れなかったのを覚えています。

そしてハマったのが遅まきながら自分の部屋にテレビを勝ち得てじっくりと観た、
1997年ごろの『ガキ使』と『一人ごっつ』でした。

 

1990年代中盤〜2002年くらいのガキ使を
面白くないという人はいないですが、
実はこの頃から松本人志さんはすでに
賛否両論の孤高の人生を歩み始めていました。

『ごっつ』が終わり『一人ごっつ』が始まった瞬間、
「なんか面白くない」という人が現れだしたのです。

…が、それが今思えば斉藤少年の心に火をつけた要因の一つでした。

 

とんねるずウッチャンナンチャンはお祭りでした。
老若男女みんながわいわい笑うお祭り。
『ごっつ』も、尖ってはいたものの、
まだ皆で観れるお祭り感がありました。

しかし一人ごっつは違います。
深夜帯というのもありましたが、
独りで布団に入ってヘッドフォンでひっそりと深淵な笑いを覗き見る。
自分だけが松本さんの理解者になったようでした。
そして事実、自分だけが、は言い過ぎですが、
一人ごっつの理解者はそう多くなかったです。

…その辺で、逆算して『松本の遺書』を買い、
(ベストセラー『遺書』と『松本』が足された文庫)
パッキーンとハマりました。
松本信者になりました。

 

ガキ使、一人ごっつは当然録画。なんなら標準で録画。
DX、HEYHEYHEYも録画。
松ごっつは録画した上で、お笑い共通一次も受けました。

ただ観ているだけではなく、
一人ごっつは当然お題を一緒に考えながら観て、
ガキ使も自分ならハガキにどう答えるかも考えながら観ました。
「そんなあしらわないでもっと深く掘ってよ」
と浜田さんに歯がゆい思いをしたこともありました。
DXを観ていて、ゲストがスベったときの処し方を何度も繰り返し観たりもしました。

 

そんな僕は、松本人志さんの影響で東京NSCに入りました
完全に人生を狂わされた一人です。
この時に今日(こんにち)の事態が起こったら、
殴り込みに行っていたかもしれません。


そして時は経ち2024年。

『一人ごっつ』の頃の危うげで鋭い目は分厚く頼もしい筋肉へと変わり、
孤高の天才から「みんなの松ちゃん」へと成られました。

観るのは『ガキの使い』と『まつもとなかい』だけになり、
『まつもとなかい』もゲストによっては観ないで削除してしまうようになりました。

僕はといえばささやかながらそれなりに守るべきものもでき、
経験と知識ができた替わりに、若い頃ののめり込む気持ちも激しい怒りも瞬発力もなくなりました。

ダウンタウンなう』も一回も観ておらず、
ワイドナショー』も一年くらいで観なくなり、
松本信者とは言えなくなりました。
僕より最近の松本さんに詳しい松本フリークはたくさんいるのでしょう。

それでも、殴り込みと言わずとも、
松本人志さんが一声かけたら、
松本さんのためになることならいつでも何かするという気持ちは心の奥底にあります。

 

『「松本」の「遺書」』

『一人ごっつ』