R-1ぐらんぷり2013に出場し、無様に一回戦敗退しました。
2012年1月引退していたわけで、新しい道をコツコツ進んでいればよかったのです。芸人さんの聖域である舞台に足を踏み入れるべきではなかったのです。
ではなぜ。
まず、タイトルの後者から。
「なぜ当然のように惨敗したのか」
ということを考えてみます。
色々な理由はあります。色々な理由はありますが…
一年間舞台に立っていなかった
というのが最大の要因です。
ネタとは不思議なもので…
例えばやったことない人が明日ホームページを作ってくれ、と言われたら、できないでしょう。HTMLの知識、サーバの知識、画像ソフトの知識、それらのソフト等々…
例えば「明日格闘技の試合に出ませんか?」と言われたら、お断わりするでしょう。勝つビジョンは見えないし、怪我するだろうし、たぶんまず1ラウンドの5分リング上に立ってられないと思います。…スタミナが尽きて。
と、普通、我々はプロ・他業種との境界線を感じながら生きているのですが…不思議なことに、
「明日2分ネタやらないか?」
と言われたら、できる気がしてしまうんですね。そしてできてしまうんです。
しかし…それがウケるかといえば、ウケない。
笑いにも細かくHTMLの知識のようなものがあったり、格闘家のように毎日鍛えておく必要があるのです。
いきなりでは勝てないのです。
ではなぜ。
そんなことをうっすら知りながら、出てしまったのか。
タイトルの前半部分、なぜ参加してしまったのかということを考察します。
それは…
中毒だから
です。
二郎に通う人が、もう二郎以外を食べれないのと同じ。カネシ醤油の中毒になってしまっているのです。
では笑いにおいて中毒とはどういうことか。
人それぞれにもよると思いますが、僕は芸人のキャリアが恵まれたスタートでした。
NSCでウケ→お笑い幼稚園でウケ→ルミネでもウケ、ウケたまま最初の引退
というキャリアパスだったので、「笑い」というものに好印象が脳みその奥深くまで突き刺さっているのです。満員の客席で爆笑を取った高揚感は、この世の色んな快楽に匹敵するのではないでしょうか。
そういう意味での中毒が一つ。
もう一つは、もっと根源的な中毒です。ウケなくても得られる中毒です。それは…
死地からの生還
です。
僕はサーフィンもやっているのですが、もちろん波に乗る快感もあるのですが、海という、へたしたら死ぬかもしれないところから、安全な陸地に戻ることに快感を覚えているのではないかと思いました。…ついさっき、風呂に入ってるとき思いました。
平和ボケの時代です。なかなか死ぬことはありません。そんな中で死地を経験できること…。
本当は格闘技が一番いいんでしょうが…。格闘技観戦も、疑似死地からの生還なのかもしれません。
そして、笑いです。さっきは、ウケたときのいい側面を書きましたが、そんなに甘くありません。スベるかもしれないのです。舞台前の緊張感。知名度高い人も、芸歴長い人も、若手も、女芸人も、同じように緊張しています。なぜなら知名度高い人も、芸歴長い人も、若手も、女芸人も同じようにスベるかもしれないからです。
一寸先はスベり
です。
そして…スベっている中での二分間。「俺、死んでるな…むしろ誰か俺を殺してくれ」と思えます。今の日本に、こんな死を近くに実感できる場所があるでしょうか。
そして、スベりきったとはいえ、舞台から降りれたときの安堵…。安全圏にいる愉悦…。いや、愉悦はないですけど。スベってるから。
それを考えると、今年鬼のようにスベってしまった分、さらに中毒は深まった危険があります…。