元売れない芸人の独り言

元売れない芸人がキン肉マンについて語っています。キン肉マンアニメ化祈願。

サンキュータツオさんの「漫才文体論」レポート(総論編)

「英語について学びたい」と思えば星の数ほど英会話スクールはあるし、「料理について学びたい」と思えば料理教室がある。料理教室が行われていないという地域でも、本屋に行けば大量に料理本があるはずだ。


では、「お笑いについて学びたい」と思ったら?


本屋に行っても、なかなか教材がない。「ウケる技術」「爆笑コント入門 ウケる笑いの作り方、ぜんぶ教えます」くらいか。そして本屋で見つからなかったらどうするか。


養成所に通う、

芸人の弟子になる、

フリーのライブに出て実践で身につける…



と、



一気にハードルが上がる




お笑いについて学びたいと思っただけなのに、

いつの間にか中田カウス師匠言うところの「見世物小屋にいる牛娘やろくろ首」側の人間になる。

これはよっぽど人生腹くくった人じゃないと無理で、

「ちょっと英会話スクールでも通おうかしら」

というノリとは完全に一線を画してしまう。


そんな中、2011年10月30日、新宿シアターモリエール「漫才文体論」というライブが行われた。

…冷静に考えると「サンキュータツオさんの単独ライブ」なのだが、そういう言い方はしていなかったし、私も今まで気づかなかった。素で「講義」を聞いている気分でメモを取っていた。


サンキュータツオさんは、米粒写経というコンビのツッコミ(便宜上こう言うが、この講義で「ボケ」と「ツッコミ」という概念に一石を投じている)であり、早稲田大学卒業生、一ツ橋大学の非常勤講師という、「講義」を行うのに説得力のある来歴がある。

最近では、東京ポッド許可局の一人というほうが通りがいいのだろうか。そのメンバーのマキタスポーツさんは、「作詞作曲モノマネ」という批評的な芸で日本一売れかけている。

ポッドキャストを自分たちでやり始めること、芸人なのに芸人について語ること、現在の知名度で2000人規模の箱でライブ…しかもいつものようにマイペースで話すだけのライブを行うなど、画期的なことをしてきた。


そして今回の漫才文体もまた、新しいイベントだったのである。

白衣のサンキュータツオ教授が登場すると、パワーポイントの資料がスクリーンに一枚一枚映し出される形で話が進んでいく。

お笑いライブではなくゼミの発表会、広告のプレゼンテーションのようだ。


「文体論とは、作家の文章のクセや傾向、用いている技術について考察する学問領域。夏目漱石には夏目漱石の、森鴎外には森鴎外の文体がある。ゴッホの画風もそう。歌手のメロディラインも言わば文体で、マキタスポーツさんの作詞作曲モノマネも文体論」

全体の定義を説明するところから講義が始まった。私以外にもメモを取っている人が何人もいる。「メモもいい、携帯もいい、写真もOK。パクるのだけはなし」というオープンなスタンスだ。

生徒の代表として、お笑いコンビ・ホロッコの百太郎氏が入ってきたところで、授業が開始された。


印象批判への反省


「今までお笑いの批評は『面白い』か『つまらない』だけで、『なぜ』がなかった。例えば養成所とかでもネタ見せしてる人がテキトーなことを言う。すると、その人のお笑い観に支配される」

確かにそう思う。…たとえばもちろんM−1の準決勝の審査員などはロジックを持って決勝の8組を選んでいたと思うが、それが表に出ることは少なかった。そしてネタ見せの話は養成所卒業生としては、うなずくことしきり。フライデーナイトライブのネタ見せが毎回勉強になり、楽しかったのは、印象批判でなかったからなのか。


「印象批判ではなく、誰がどうやったかを掴まないといけない。それをやらないから8年周期で同じことが繰り返される」

そしてここからいよいよ漫才の話に。


漫才という競技

そもそも「漫才」というものが定義されたのは1972年に発売された秋田實の『笑いの創造 日常生活における笑いと漫才の表現』(日本実業出版社 現在は絶版)ということ。

しかしなんとそこでは漫才とは

二人の立ち話。人間同士の会話。時間は数分で、道具は使ってはいけない

としか説明されていなかったということ。


短っ!


秋田實はボケツッコミという言葉を使わなかった。それどころか、ボケとツッコミという言葉はどんな文献にも無い。役割なのか行為なのか。松ちゃんはボケだがツっこんでるし、浜ちゃんがボケることもある。ボケツッコミという基本的なことすら定義されてない分野」

笑いの批評が成熟していないということに繋がるが、まず基本中の基本すら定義づけすらされていないことを改めて認識した。

…余談だが、松本人志氏がM−1GP2008でNON STYLE石田氏がリップクリームを使ったことを後日放送室で咎めていたのは歴史的な意味があったことがわかった。

ここからタツオさんの

「漫才師とは何なのか」

という白熱した主張が始まる。


「漫才師は、3分間でどこに行っても『安定』して笑いを取る仕事。その取り方はコンビによって違う。プログラマーとも似てる。人それぞれ、笑いを取るプログラミングを組んでいる。何を言うかはどうでもよくて、歌でいえば結局『あなたが好き』でいいんだと思う。重要なのはその言い方。文体

「3分間で安定して笑いを取る仕事」…。数年間芸人をやっていたが、ぼんやりと「売れたい」と思うだけで、この認識が甘かったのかもしれない。私はウケるときはウケていたが、スベるときはスベっていた。その安定性の無さこそが、プロの芸人になれなかった原因なのかもしれない…。まあそれはどうでもいい。


「漫才をするときに選ぶことは、大きく分けると二つある。一つは、ボケツッコミという役割を明確にするのか。もう一つはしゃべくりにするのか、漫才コントにするのかということです。ボケとツッコミを明確にするのは、いわばお笑いの『お約束』を作ること。お笑い浪漫主義。採用しない人がお笑い自然主義


私の記憶が確かならば、初めて拝見した2005年の米粒写経さんはお笑い浪漫主義だった。居島さんのマシンガンボケに突っ込み、暴走していくのを止めて本筋に戻していくという、王道といえば王道なスタイル。(ただ、過激さ、発想の飛び方等々、決してベタな漫才とは思わなかったが…)最近…2011年は、そうではないスタイルになっている。が…自然主義とも違う気がする。新型プログラムを開発中なのだろうか。


そしてここで、新型プログラム開発の肝になるロボット、三体の「マンザロイド」が舞台に登場した…。

「各論編」に続く。