「このブログだけで繋がっている人のことは本当に何も知らない。だけど、あなたについて知っていることが一つだけある。
あなたが変態だということ。
ブログを見るのならアイドルさんのブログを見るべきだ。タレントさんのブログを見るべきだ。あなたを喜ばせようと、胸の谷間を強調したサービスショットを載せてくれる人もいる。TVでは観ることのできない芸能人のプライベートの交友録を写真で伝えてくれる人もいる。よっぽどエンターテイメントだ。
そんな中、夜な夜なこんなブログを覗くあなたはやっぱりヘンだ。どうかしている。中には日課にしていた人もいるかもしれない。いよいよ気持ち悪い。
きっとそんなあなたは、職場や学校や友人関係で疎外感を覚えながら日々生きているんだと思う。周りの皆のように上手く立ち回れないのだと思う。それで、同じような匂いを嗅ぎつけて、ここに転がり込んで来たんでしょ? うん、わかる。わかってる。だからここに約束する。
ボクはこれからも、あなたと同じような角度からブイブイ言わせちゃう。」
西野公論
予告されていた通り、キングコング西野さんが30才の誕生日にブログを終えられました。
2ちゃんねらーに叩かれたり、マスコミに何度か取り上げられていたので、ご存知の方も多いと思います。
私はどうか?
読むの日課にしていました。
最初はキングコングの西野さんと同一人物だと思えず、作家か誰かだと思っていたんですが、本人だと知り驚きました。
芸人てここまで晒け出していいのかと。
賛否両論あり、敵も作るかもしれないのですが、一説として聞いていただきたいのですが…
そして詳しくは飲み屋で語れればと思うのですが…
私は西野さんは、ビートたけしさんと松本人志さんに続く第三の男だと思っています。
ビートたけしさんは、世の中そのものの価値観をひっくり返しました。
松本人志さんは、過去にあった「笑い」そのものをひっくり返しました。
西野さんは、上記二人が言われたお笑い芸人になるための共通点、
「明るいと面白いは違う。クラスの人気者はお笑い芸人にはなれない」
という説をひっくり返したのかなと。
いわば「芸人才能説」みたいなのをひっくり返し、「芸人努力説」を打ち出した。
打ち出した…というか、もともとは芸人て努力で作られるものだったので、王政復古したのですが、何が違うかと言うと、それをブログで言ったのがすごかった。
「髪の毛グチャグチャにしながら睡眠時間三時間くらいで描き続けた(これは絵本ですが…)」
「梶原と殴り合いした」
「彼女とも別れた」
「WESTSIDEでアイドル扱いされるのが嫌で、WESTSIDE賛成派のランディーズと喧嘩した」
…素人目からしたら、ハードルが上がったり敵を作るだけで、得はないように思います。
しかしそれを語り続けた。
絵本にしても、舞台にしても有限実行し続けた。
努力の素晴らしさを見せつけた。…もちろん、常人の千倍くらい才能があって、その上での話だと思いますけどね。
そんな西野さんが唯一有言実行できなかったのが、M-1グランプリの戴冠。
だからこそ、お笑いは面白いなと。
難しいんだな、と思いました。
これだけのスーパーマンが努力し、計算し、それでも到達できないのかと。
しかもそのときのヒーローがサンドウィッチマンさんというのもまた深い。
そんなドキュメントがたくさん詰まったブログ。
なべやかんさんとの「切腹コール」事件もありましたし、吉田豪さんとのバトル、ダイノジ大谷さんとの共闘もありました。
誰一人注目していないような「AGEAGEプロジェクト」に触れられたこともありました。
そんなブログが終わる。
『放送室』に続き、お笑い界の歴史書がまた一つ終わります。
しかし…こんなのは御託なんです。
問題はもっとシンプルで、個人的なこと。
単純にこの先寂しくなるなあと。
同い年にこんなに頑張っている人がいて、クソ忙しい中、日々日記を書かれているというのが、フリーライターとして独り仕事を続ける私の灯台的存在になってくれていました。
この売れてる忙しい人がやってるんだから、俺がやらないでどうするんだと。発奮材料にさせていただいていました。
経営者のブログとかでも、努力してる感を出しているブログはあるんですが、結構表面的で、そこまで晒け出してないんですよね。もちろん、企業秘密や株主の目があるんで仕方ないと思いますが…。
この先何を指針にして仕事をしていけばいいか…。
ということで、西野さんにはあっさり『西野公論2』を開始してほしいと思います。
それが許されるのが芸人のすばらしいところなのではないのでしょうか。
ツイッターアカウントは@kokono516