元売れない芸人の独り言

孤高のコーイチロー、波乗りコーイチロー、ヒキコモリオなどの芸名で売れない芸人をやっていました。

『しんぼる』DVD発売と松本信者のジレンマ

『しんぼる』のDVDが発売され、Amazonにカスタマーレビューが出始めました。
その中で、評価は★一つという酷評なのですが、ものすごい愛を感じるものがあったので、紹介したいと思います。

▼引用ここから▼

あらかじめ言っておくと、私は筋金入りの松本信者です。子供の頃から「ガキ」「ごっつ」に親しみ、「遺書」も買い、「ヴィジュアルバム」や「スーパー一人ごっつ」、「働くおっさん人形」及び「働くおっさん劇場」などのDVDも全て揃え、最近では当然、「笑ってはいけない」シリーズなども全て手元にあります。世代としてはダウンタウンの東京進出から、一躍全国区のスターにのし上がるまでの過程を、ちょうど、小学生、中学生、高校生、大学生…と、リアルタイムで肌に感じ、併走してきた年齢と言えるでしょう。(そして松本人志が映画監督デビューを果たした現在、気がつけばいつの間にか、私も一人の「働くおっさん」となっておりました。)

そんな私でも、映画監督としての松本人志にはどうしても首を傾げざるを得ませんでした。松本人志は間違いなく笑いにかけては天才です。最近はフリートークが少なくて残念なのですが(「笑ってはいけない」で潤ったから、安上がりな30分フリートークとかは逆にし辛くなったのかな?)、その「語り」はとにかく一度聞けば虜になってしまうほど面白く、常人では到底思いつかないような発想や着想に満ちあふれています。それだけでなく、語りの上手さ、オチへの持って行き方、反復(いわゆる天丼)を用いるタイミング…、決してお笑いに詳しいわけではありませんが、「放送室」や「フリートーク」を耳タコで聞きまくっている人なら、松本は単に突拍子もないことを言って笑いを取るだけではなく、まるでよくできた落語のように喋りの構造が美しいことに必ず気付くはずです。

にもかかわらず何故映画がこれほどつまらなく感じるのか? 私なりに考えてみたのですが、たとえば「しんぼる」に限って言うなら、まず、ネタがあまりにも「ベタ過ぎる」ことが原因の一つだと思います。松本は各所で「大勢の人に見てもらえるように判りやすく作った」といった趣旨の発言を繰り返していますが、明らかにこれは悪い方向にしか機能していないのではないか。

そう感じる理由の一つに、ごっつの有名コント「Mr.Bater」があります。

これは、松本人志が語るように、笑いにおいて敢えて「ベタ」なネタだけで作ったコント(だから名前がミスター・「ベーター」=「ベタ」)ですが、私はこれを一度も面白いと思えたことがないのです。私が好きなごっつのコントは「グランド・チャンピオン」のシリーズや「トカゲのおっさん」、「子連れ狼」や「ゴレンジャイ」など数えあげればキリがありませんが「Mr.Bater」だけは一度も面白いと思えたことがない。何故か。答えは単純で、要するに「ベタ」過ぎるからなんです。お笑いそれ自体に関心のある向きには、そうしたベタなものも使い古されたテクニック一覧としてある種の興味を覚えるのかもしれませんが、この手の「ベタ」は、お話作りに関する工学的な興味は煽っても、腹の底から「笑える」ものにはなりにくい。そして、松本の映画はまさにそうした「Mr.Bater」的なネタだけで埋め尽くされてしまっている。これが何よりの問題なのではないか。

多くの松本信者が、松本が映画を撮ると知ったとき期待したのは、間違いなく「ヴィジュアルバム」や、ごっつの奇怪な名作コント群の発展系だったはずです。一体松本信者の誰が、松本自身、「敢えてベタをやった」などと語る作品の再生産なんかを期待するでしょうか? 「わかりやすく作った」って、なんでわかりやすく作る必要があるんですか? 松本の映画を観る人の大半は、間違いなくそんなわかりやすい映画ではなく、「松本の発想力」をこそ堪能できる映画が観たいんじゃないんですか?

大衆に日和ることは悪いことではありません。しかし、完全なる「ポスト・松本人志」時代にあって、かつて「3年ほど休んだろか」と嘯いていたときほど、「大衆」は松本人志の笑いに無頓着ではない。「さんま」「紳助」と並び、既に全国レベルで松本人志の「面白さ」が十分に認知された今、敢えて「Mr.Bater」的なものに退行する必要がどこにあるでしょうか? 「おれはレベルを下げるつもりはない」と啖呵を切っていたかつての松本人志は一体どこに行ってしまったのか? 

松本人志は変な色気を出して海外の賞やマスにおもねらない、それこそプライベートフィルムや自主製作ではないかと思わせるほどの、際どい作品を作ってもらいたいものです。それこそ「大日本人」なんかより「頭頭」をそのままスクリーンにかけたほうが、よほどカンヌの連中もビビッていたはずです。(勿論「大日本人」も板尾との絡みなど、「ごっつ」的なものの反復としては楽しめる部分もあったのですが。しかし、やはりベタなものも多すぎた。し、何より笑いが少なすぎた)

最後に、これは今作について特に言えることなのですが、漫才師として「言葉」で闘ってき、「言葉」で認められてきた男が、「言葉を捨ててしまう」など、それこそ言語道断なのではないか、と個人的には思います。海外を意識して敢えてそうしたということですが、精神科医の斎藤環も書いているように、松本人志のもの凄さは、活字に起こしても殆どネタの新鮮さが劣化しないその独特の発想や言葉遣いにあります。翻訳の難しい表現も中にはあるでしょうし、字幕で読むとどうしても「間」をリアルタイムで体感するのが難しくなるなど、いろいろと問題もあるでしょう。しかし、「電波少年」で松本人志のコントをアメリカ人に見せたときの反応を是非思い出してもらいたいのです。筋肉隆々のいかつい黒人がデカイ図体を無理矢理縮め込ませて入ったワゴン車の中で、松本人志のコントビデオを字幕つきで観て大爆笑したあの瞬間、「外人にも松本の面白さが判った!」と感動した松本信者は多かったはずです。ワゴン車を降りるとき、両手で松本に握手を求めるあの黒人の姿に、まるで我が事のように嬉しさがこみ上げてきたことを、私は今でもよく覚えています。アメリカ人向けに作った「サスケ」にしても、松本らしからぬベタさはあったものの、「しんぼる」に比べればよほど面白い出来でした。あれはやはり、ボケの「サスケ」と突っ込みの子供の掛け合いが絶妙だったからに他なりません。

松本人志の不思議な言葉遣いについても、「ものごっつええ感じ」のコント「経て」なんかはまさに「言葉の魔術師」とさえ思えるほど、松本人志の特殊な感性に魅了されること請け合いです。「経て」というありふれた言葉の使い方をいじるだけで、ああも笑えるものにしてしまう松本人志の天才性はどれだけ賞賛してもしきれません。(観たことがないという人はyoutubeなんかに転がってますので是非検索してみてください。感動しますよ。腹がよじれますけど)この「経て」コントのようなものは確かに翻訳の難しいところがあるでしょうが、別に外人なんて放っておけばいいんです。内容さえ良ければそのうち「後から」でもついてくるでしょうし、ついてこれなかったところでそれがなんだというんですか? 「オースティン・パワーズ」に腹抱えて笑うような連中放っておけばいいでしょう。それでも、必ず判る人は判るはずです。日本文学だって沢山翻訳されて海外の人にも親しまれているわけですから。

とにかく、たとえ信者であっても、いや信者だからこそ、神が方向性を見失っているときはハッキリと「そっちは違うぞ!」と文句を言うことは大事だと思います。このままベタ方面へ突き進まれても信者は置いてけぼり、一般の観客はどんどん鼻白むようになっていくだけです。「頭頭」みたいなものを出しても流石に一般の観客はついてはこれないでしょうが、それでも間違いなく信者はついていくでしょうし、興行的な問題で、どうしても一般の観客を引っ張っていきたいというのであれば、それこそ「サスケ」コントのように、掛け合い漫才を取り入れたダイアログ(台詞)で笑わせることのできるようなネタをふんだん盛り込めばいい。

なんにせよ、松本人志は「言葉」だけは捨てるべきではない。そう思います。

▲引用ここまで▲
"kk"さんのレビュー

この意見について賛成とか反対とか言うつもりはないのですが、愛があり、文章がしっかりとしている読むべきレビューだなと思いました。

評価は違えどあなたも私も哀しい大日本人ですねと言いたい
そしていつか、こうもり傘片手に呑みたいですね(!?)。

松本人志さんについて語り出すと長く、熱くなってしまうので、「松本人志さんとカスタマーレビュー」についてだけ言うと…

松本師の映画二作品について批判している層は3パターン。(正確には4パターンですが、わかりやすくするため3パターンにします)

(1)ツッコミがないと笑いがわからない人
(2)とにかく批判したいアンチ松本師
(3)濃い松本信者

(1)は永遠のテーマで難しい問題なんで置いておいて、(2)についてはどうでもいいとして、
哀しいのが、(3)。
上のkkさんもそうですね。

ごっつええ感じ」「ガキ」で衝撃を受け、『遺書』、『松本』を読み込み「俺の笑いがわからない奴はアホ」「俺が一番面白い」というものすごい洗礼を浴び、それだけだったら「そうかなあ」くらいだったものが、『ビジュアルバム』『一人ごっつ』『松ごっつ』で「俺の笑いがわからない奴はアホ」「俺が一番面白い」が紛れも無く証明され、完全に信者になった人たち。私もそうです。

この層にとって、『大日本人』『しんぼる』は若干「あれ?」っていうところがあるのかなと。
松本師が否定してきたほうの笑いが多少なりどちらにも入っていると。

さらに、ビジュアルバムやCutとのメディアミックスで「笑い」に振り向いた映画や小説、音楽、絵画等のファン。「お笑い番組は見ないけど、松本人志は好き」という人たちにも『大日本人』『しんぼる』は物足りないものがあるのかなと。

それもわかります。

北野武監督でいう『HANA-BI』に現れてほしいですよね。
それが出て、海外で賞とかを取ると、遡って
「やっぱり『しんぼる』は傑作だった」
と、オセロのようにクルクルと評価が変わっていくのでしょう。


…ただ、松本信者の中でも極右の私は、『大日本人』も『しんぼる』も面白いですけどね。
だって、このAmazonのあらすじの出だしだけで面白いでしょう!


【ストーリー】
メキシコのとある町。家族と幸せに暮らすプロレスラー、エルカルゴマンはいつもと変わらぬ朝を迎えていた。
しかしその日、妻は夫であるエスカルゴマンがいつもとは少し様子が違うことを感じていた。

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